Mr.ミキティ [素敵な人たち]
うちのよっちゃんの先輩にミキオさんと言う人がいる。
若いときに同じ野球チームにいた人の双子の弟さん。
鉄の町の活気があった頃、お魚関係の仕事をしていた双子の父親はハマでも怖い人で有名だったらしい。
おじちゃんの会社の人が来ても決して正座を崩さないのような厳格な家だった。
ところが、若い頃からよっちゃんときたら、その家に入り浸り、居間で寝っ転がってテレビを見たり、
おばちゃんには好物を作らせ、他人は決して出来ない傍若無人ぶりだった。
あれだけ、好き勝手な事をしたにもかかわらず歓迎されていたところを見るとおじちゃんとの相性が良かったのだろう。
おばちゃんもよっちゃんの事を「うちの三男坊」と呼んでいた。
その家の次男がミキオさんだった。
双子なのに全く性格が違う。
生真面目な長男とちょっと風変わりでマイペースな次男。
転勤があったもののほとんど盛岡近辺だったので、私たちには身近な存在ではあった。
と言っても、よっちゃんとミキオさんは頻繁に連絡を取り合っていたが
私が最後に会ったのはだいぶ前で、よっちゃんとの会話の中のミキオさんと会っていたに過ぎない。
私は数年前からは密かにミキティと呼んでいた。Mr.ミキティだ。
Mr.ミキティから連絡があって、門前の小僧習わぬ経を読むではないが私に相談したいことがあるという。
よっちゃんも伴って日曜日に会った。
資料を準備して渡し、出来る範囲で説明をした。
場所を移して数カ所見て回り、ミキティの友人のカフェにも行った。
4時間ぐらい一緒にいたことになる。
偶然、私の友人と会って私が挨拶と立ち話をしていたらMr.ミキティが小声で
「noelちゃん凄く太ったよな」って話したとか
小声で話したのはおまえに気を遣ったからだとよっちゃんは言うが、
気を遣ったなら
「何キロ太ったの?」とか
「同級生に会ってもわかんないでしょ」とは本人に向かって堂々と言わないでしょ。(笑)
太った私も悪いけど、いかにもマイペースなMr.ミキティらしい。
次の朝
「昨日、出掛けてコーヒー飲み過ぎたせいで夜中の2時まで眠れなかった」と話したら
「おまえ帰ってきてから昼寝したからだろ」って。
適切なツッコミありがとうございます。
若いときに同じ野球チームにいた人の双子の弟さん。
鉄の町の活気があった頃、お魚関係の仕事をしていた双子の父親はハマでも怖い人で有名だったらしい。
おじちゃんの会社の人が来ても決して正座を崩さないのような厳格な家だった。
ところが、若い頃からよっちゃんときたら、その家に入り浸り、居間で寝っ転がってテレビを見たり、
おばちゃんには好物を作らせ、他人は決して出来ない傍若無人ぶりだった。
あれだけ、好き勝手な事をしたにもかかわらず歓迎されていたところを見るとおじちゃんとの相性が良かったのだろう。
おばちゃんもよっちゃんの事を「うちの三男坊」と呼んでいた。
その家の次男がミキオさんだった。
双子なのに全く性格が違う。
生真面目な長男とちょっと風変わりでマイペースな次男。
転勤があったもののほとんど盛岡近辺だったので、私たちには身近な存在ではあった。
と言っても、よっちゃんとミキオさんは頻繁に連絡を取り合っていたが
私が最後に会ったのはだいぶ前で、よっちゃんとの会話の中のミキオさんと会っていたに過ぎない。
私は数年前からは密かにミキティと呼んでいた。Mr.ミキティだ。
Mr.ミキティから連絡があって、門前の小僧習わぬ経を読むではないが私に相談したいことがあるという。
よっちゃんも伴って日曜日に会った。
資料を準備して渡し、出来る範囲で説明をした。
場所を移して数カ所見て回り、ミキティの友人のカフェにも行った。
4時間ぐらい一緒にいたことになる。
偶然、私の友人と会って私が挨拶と立ち話をしていたらMr.ミキティが小声で
「noelちゃん凄く太ったよな」って話したとか
小声で話したのはおまえに気を遣ったからだとよっちゃんは言うが、
気を遣ったなら
「何キロ太ったの?」とか
「同級生に会ってもわかんないでしょ」とは本人に向かって堂々と言わないでしょ。(笑)
太った私も悪いけど、いかにもマイペースなMr.ミキティらしい。
次の朝
「昨日、出掛けてコーヒー飲み過ぎたせいで夜中の2時まで眠れなかった」と話したら
「おまえ帰ってきてから昼寝したからだろ」って。
適切なツッコミありがとうございます。
ありがとう×100 花巻東! その2 [素敵な人たち]
前回、ここにアップしました。
しつこいですが、もう一度だけお礼を言わせてほしい。
ありがとう。花巻東!!
春からずっと、否が応でも注目され続けていた花巻東。
どれだけのプレッシャーだったか私たちには想像は付きません。
私は全くの素人です。
野球も球拾いぐらいしかしたことがありませえん。(それ野球じゃないですね ハイ!)
春の選抜は菊池雄星君の力で押さえるような印象がありましたが
岩手県の県大会から、変化球を多用したピッチングに変わっていたように思います。
苦しい試合を一つずつみんなで勝利を掴んでいった感じがしました。
県大会で優勝を決めた時の川村主将の涙と言葉が重圧の大きさを物語っていました。
そして、甲子園夏の大会
最初の試合では3本のホームランを打たれ、前評判が高かっただけにかなり厳しい評価がされました。
2試合目と3試合目は先制点を取ったお陰でどうにか勝ててうれしかったです。
4試合目明豊との試合は、菊池雄星投手5回で降板してその後逆転され、
奮起したナインが9回の表2点を入れ延長戦に持ち込み延長10回で勝ったドラマチックな試合でした。
実は県大会の時から、菊池投手のピッチングが変わったような気がしていました。
そして、甲子園に来て、決してベストな状態では無いような気がしていたのです。
明豊戦の背中の痛み…。
合点がいきました。だから、だったのですね…。
そして、昨日準決勝戦、大差で破れました。
中京大中京の人達の体格、とても高校生とは思えない筋肉の付き方をしていました。
野球選手は男性としてはお尻が大きい人が多い。走り込んで下半身を鍛えるからです。
この頃はきっちりウエイトトレーニングもして筋力アップしています。
肩から胸にかけて、太ももからお尻の筋肉は、大人の野球人でした。
チャンスを逃さず容赦なく着実に点を重ねていく中京大中京。
登板を任せられた2年生投手、故障を押して11球放った菊池雄星投手、そして最後まで投げ抜いた猿川君。
ありがとう。
本当は辛くて怖かったでしょうけど、マウンドの上では顔色に変えず時には笑いながら立ち向かって行ってくれました。
周りのチームメイト達も、讃え合い笑って励まし合っていた。
ベンチでも、試合の一挙手一投足に拍手し声を出し、士気を鼓舞し続けました。
どうにか入れた1点は、花巻東が全員でもぎ取った絆を表していると思います。
一矢報いました。
十分にいやそれ以上に頑張ってくれたました。
素晴らしいチームです。菊池雄星投手はもちろんみんなみんな!
ベンチではみんな最後まで諦めず笑顔で応援していましたが、
最後の9回、菊池君だけ押さえきれずに泣いていました。
それを見てこっちまで泣けてしまいました。
“あなた達は郷土の誇り”です。
ありがとうを100個贈ります。
“ありがとう×100 花巻東!!”
そして菊池雄星投手の故障が一日でも早く直りますように
しつこいですが、もう一度だけお礼を言わせてほしい。
ありがとう。花巻東!!
春からずっと、否が応でも注目され続けていた花巻東。
どれだけのプレッシャーだったか私たちには想像は付きません。
私は全くの素人です。
野球も球拾いぐらいしかしたことがありませえん。(それ野球じゃないですね ハイ!)
春の選抜は菊池雄星君の力で押さえるような印象がありましたが
岩手県の県大会から、変化球を多用したピッチングに変わっていたように思います。
苦しい試合を一つずつみんなで勝利を掴んでいった感じがしました。
県大会で優勝を決めた時の川村主将の涙と言葉が重圧の大きさを物語っていました。
そして、甲子園夏の大会
最初の試合では3本のホームランを打たれ、前評判が高かっただけにかなり厳しい評価がされました。
2試合目と3試合目は先制点を取ったお陰でどうにか勝ててうれしかったです。
4試合目明豊との試合は、菊池雄星投手5回で降板してその後逆転され、
奮起したナインが9回の表2点を入れ延長戦に持ち込み延長10回で勝ったドラマチックな試合でした。
実は県大会の時から、菊池投手のピッチングが変わったような気がしていました。
そして、甲子園に来て、決してベストな状態では無いような気がしていたのです。
明豊戦の背中の痛み…。
合点がいきました。だから、だったのですね…。
そして、昨日準決勝戦、大差で破れました。
中京大中京の人達の体格、とても高校生とは思えない筋肉の付き方をしていました。
野球選手は男性としてはお尻が大きい人が多い。走り込んで下半身を鍛えるからです。
この頃はきっちりウエイトトレーニングもして筋力アップしています。
肩から胸にかけて、太ももからお尻の筋肉は、大人の野球人でした。
チャンスを逃さず容赦なく着実に点を重ねていく中京大中京。
登板を任せられた2年生投手、故障を押して11球放った菊池雄星投手、そして最後まで投げ抜いた猿川君。
ありがとう。
本当は辛くて怖かったでしょうけど、マウンドの上では顔色に変えず時には笑いながら立ち向かって行ってくれました。
周りのチームメイト達も、讃え合い笑って励まし合っていた。
ベンチでも、試合の一挙手一投足に拍手し声を出し、士気を鼓舞し続けました。
どうにか入れた1点は、花巻東が全員でもぎ取った絆を表していると思います。
一矢報いました。
十分にいやそれ以上に頑張ってくれたました。
素晴らしいチームです。菊池雄星投手はもちろんみんなみんな!
ベンチではみんな最後まで諦めず笑顔で応援していましたが、
最後の9回、菊池君だけ押さえきれずに泣いていました。
それを見てこっちまで泣けてしまいました。
“あなた達は郷土の誇り”です。
ありがとうを100個贈ります。
“ありがとう×100 花巻東!!”
そして菊池雄星投手の故障が一日でも早く直りますように
タグ:花巻東
ありがとう 花巻東! [素敵な人たち]
なんと昨日花巻東が勝っちゃいました!
社長の目を盗んで最後の勝ち越しをどうにか見ることが出来て嬉しかった。
帰宅したよっちゃん、開口一番はこの話題でした。
8時過ぎMちゃんからメールが来ました。
「甲子園の入場券どうやって買ったの?」って
「あの時は当日券だったよ」とだけ送信。
用事も終わりソファーに座って、世界陸上を見ながらMちゃんに電話しました。
イヤー感動したねと二人で感心しきりですが
「甲子園行くの?」と尋ねました。
「うう~んどうかな」とMちゃん。
「春にね、(菊池)雄星君ねシュウ(Mちゃんの息子 重度の心身障害あり現在入所中)に似てるって言われて、そうかなと思って程度だったけど、
夏の岩手県の決勝戦、一高(盛岡一高)の応援で球場まで見に行って雄星君のファンになって帰ってきた」と話す。
甲子園始まってからは見ているらしい。
ウチは前にも書いたかもしれないが「野球」はスポーツの中での特別な存在だ。
夫、息子は経験者だし、野球観戦は生活の一部と化している(笑)
高校野球もちろん他の野球も見られる範囲で見ることは我が家にとって常識だ。
ですから、電話で盛り上がって話す。
「Mちゃん行きたいなら行った方がいいよ」
私たちが生きているうちに岩手県の代表がベスト4に進むなんてもう無いかも。
(90年ぶりだそうだから)
私の50年の中で後悔している唯一の事はね、高1の時にうちの野球部が甲子園に行ったときに応援に行けなかったこと。
ばばちゃんに来年行けばいいと言われて泣く泣く諦めた。当然次の年なんてないのだ。
旅費が工面出来なかったのだと思うが、そう言わなければならなかった当時もばばちゃんも辛かったと思う。
それは大人になってから気が付いたが、そのお陰で後悔しないように「行きたいところには行き、見たいものは見て、やりたいことはする」それが私のルールになった。
お陰で今の私があるのだ(何様だ?笑)
彼女は今、休職中である。
4月にまた体調を崩した。
心がざわつくのでテレビさえ特定ものしか見られない状態。
自宅にはパソコンすら置いていない。
夜眠れないと朝起きられない、それの繰り返し。
真面目すぎる彼女は自分自身を責め続け悪化してしまう。
彼女の優しさと超が付くほどの真面目さが病気の要因になっている。
自分でも分かっていてもどうしようもない。
7月に復職できず、また3ヶ月休職を伸ばした。
その時、総務の部長だか課長だかから
「君はは崖っぷちにいるんだ」と言われたと言う。そして「休職中だから長い旅行には行かないように」と釘を刺されたという。
それが気になっていたのかもしれない。
「せいぜい1泊か2泊、それは長い旅行に入んないよ」とあっけらかんと言う私にMちゃんは「そうかな」と言う。
もし行けるなら行ってほしい。それがきっとMちゃんの心の栄養になるはずだ。
「今晩一晩悩んでみる」と言う。
「決まったらソク行動しないと間に合わないよ(笑)何もいらないからね。パンツいや何でもどこでも買えるから(笑)」と言うと
「そうだね」と笑っている。
「なんか元気になった」とMちゃん言ってくれたことが嬉しかった。
花巻東の頑張りがいろんな人達に力を与えている。
“ありがとう。花巻東!”
社長の目を盗んで最後の勝ち越しをどうにか見ることが出来て嬉しかった。
帰宅したよっちゃん、開口一番はこの話題でした。
8時過ぎMちゃんからメールが来ました。
「甲子園の入場券どうやって買ったの?」って
「あの時は当日券だったよ」とだけ送信。
用事も終わりソファーに座って、世界陸上を見ながらMちゃんに電話しました。
イヤー感動したねと二人で感心しきりですが
「甲子園行くの?」と尋ねました。
「うう~んどうかな」とMちゃん。
「春にね、(菊池)雄星君ねシュウ(Mちゃんの息子 重度の心身障害あり現在入所中)に似てるって言われて、そうかなと思って程度だったけど、
夏の岩手県の決勝戦、一高(盛岡一高)の応援で球場まで見に行って雄星君のファンになって帰ってきた」と話す。
甲子園始まってからは見ているらしい。
ウチは前にも書いたかもしれないが「野球」はスポーツの中での特別な存在だ。
夫、息子は経験者だし、野球観戦は生活の一部と化している(笑)
高校野球もちろん他の野球も見られる範囲で見ることは我が家にとって常識だ。
ですから、電話で盛り上がって話す。
「Mちゃん行きたいなら行った方がいいよ」
私たちが生きているうちに岩手県の代表がベスト4に進むなんてもう無いかも。
(90年ぶりだそうだから)
私の50年の中で後悔している唯一の事はね、高1の時にうちの野球部が甲子園に行ったときに応援に行けなかったこと。
ばばちゃんに来年行けばいいと言われて泣く泣く諦めた。当然次の年なんてないのだ。
旅費が工面出来なかったのだと思うが、そう言わなければならなかった当時もばばちゃんも辛かったと思う。
それは大人になってから気が付いたが、そのお陰で後悔しないように「行きたいところには行き、見たいものは見て、やりたいことはする」それが私のルールになった。
お陰で今の私があるのだ(何様だ?笑)
彼女は今、休職中である。
4月にまた体調を崩した。
心がざわつくのでテレビさえ特定ものしか見られない状態。
自宅にはパソコンすら置いていない。
夜眠れないと朝起きられない、それの繰り返し。
真面目すぎる彼女は自分自身を責め続け悪化してしまう。
彼女の優しさと超が付くほどの真面目さが病気の要因になっている。
自分でも分かっていてもどうしようもない。
7月に復職できず、また3ヶ月休職を伸ばした。
その時、総務の部長だか課長だかから
「君はは崖っぷちにいるんだ」と言われたと言う。そして「休職中だから長い旅行には行かないように」と釘を刺されたという。
それが気になっていたのかもしれない。
「せいぜい1泊か2泊、それは長い旅行に入んないよ」とあっけらかんと言う私にMちゃんは「そうかな」と言う。
もし行けるなら行ってほしい。それがきっとMちゃんの心の栄養になるはずだ。
「今晩一晩悩んでみる」と言う。
「決まったらソク行動しないと間に合わないよ(笑)何もいらないからね。パンツいや何でもどこでも買えるから(笑)」と言うと
「そうだね」と笑っている。
「なんか元気になった」とMちゃん言ってくれたことが嬉しかった。
花巻東の頑張りがいろんな人達に力を与えている。
“ありがとう。花巻東!”
ちょっと不思議な人 [素敵な人たち]
ええと仕事辞めるはずなのにと思われている方いますよね。
その通りでございます。
今もその意志はあります。
10月に受注した仕事の関係で辞めるに辞められなくなりました。
それでまだここにいます。
小さな仕事でしたが、現場に行く用事があって一人暮らしのその人にご挨拶しました。
不思議なおばあさんでした。
昼に工事の部材を届けましたが、一つ聞きたいことがあったのに電話が繋がらなかったので、直帰すれば良かったので夕方寄ってみました。
その家は変わっています。
ブロックで建てられた昔鶏舎だっと言う少し大きめの小屋あります。外からはこの建物しか見えません。
家の中に入ると広い土間あって、中にまたプレハブの小屋が建っています。
保存食の瓶詰めがブロックの壁伝いに誂えた棚に並べられ、土間の真ん中にはブリキの薪ストーブが。上には鍋があります。
七輪と炭・消し炭・薪も置かれています。
お昼に行ったときは薪ストーブで鮭の中骨などのアラを圧力鍋で煮ていました。
プレハブの中には流しやガス台もある所謂ちゃんとした台所も有るようです。
夕方お邪魔したらガラスのタッパンに入った手作りの生キャラメルを用意していました。
私が行くことなど知らなかったはずですが、そのうち来るだろうと思っていたと。
「工事が気になりながら作ったからなんか前の時より煮すぎたかもしれない」
「あなたは若いから好きかなあと思って」と
東京の孫のために作った生キャラメルをお裾分けして頂きました。
甥の結婚式で札幌に行き、お土産に買った生キャラメルと遜色ない味でした。
感激して食べた私を見て、姉にあげてもなんか反応無くてと。
テレビで見て、レシピも適当に自分でやってみたとのことです。
材料を伺うと「バニラビーンズ」と聞いて驚きました。
この町では手に入りません。
バニラビーンズは近くても盛岡まで行かなくてはいけないからです。
彼女は東京に行ったときに買ってくるとのことでした。
タダの田舎のおばあさんでは無いことが分かります。
この人はどんな人なんだろう俄然興味が湧きました。
私は駆け引きするタイプではないのでそのまま聞きます。
何をされてきたのかと
2,3度命に関わる大病をして脳の腫瘍の手術をしたときに残り少ない人生の
2年間をここで過ごそうとやってきたそうです。ご主人にも納得してもらって。
斜め向かいには家督を継いだ弟さんの家があり
隣はすぐ上のお姉さん一家が十数年前に家を建てて住んでいます。
一番上のお姉さんも妹さんも歩いていける距離にいるとのことです。
2年間の約束でここに住んだのに、予想外に長生きしてしまってと笑って話してくれました。
5年経ったときに夫にそのままいるなら籍を抜いてくれと言われたて抜いちゃったと肩をすくめて笑いました。
ここに来て10年経つと話しをしていました。
何でも作ってみることが好きと話す彼女は少女のようです。
私も下手な横好きでいろんな事に挑戦してきました。
その多くはやってみただけでしたが、それでもやらないよりマシは今でも私の中にあります。
手作りの石けんでシャンプーしているとか。
私も廃油で石けんは作ったことは有ったのですが、話しを聞くと食用の椿油で作るとかその知識の豊かさとグローバルさには感嘆しました。
廃油で作る石けんは洗濯用に作っていて、姉たちから集めた廃油で作っていると。
食だけでなく衣や住に関しても。
彼女の口から何度か出てきた「やってみるのが好きなの」
スローライフと呼ばれている生活がここにあります。
30年前の農村の生活をまねているのではなく自分らしい暮らし方をしているのです。
母より少し若い人なのに精神的にはとても自由でしなやかです。
何度も死の覚悟をしたからこそ到達できたことなのかもしれません。
工事は終わってしまったので、おじゃまする用事は無くなってしまいましたが
素敵な先輩をまた1人見つけることが出来ました。
いただいてきた生キャラメルと手を掛けたお醤油で作ったカエシは大事に食べています。
その通りでございます。
今もその意志はあります。
10月に受注した仕事の関係で辞めるに辞められなくなりました。
それでまだここにいます。
小さな仕事でしたが、現場に行く用事があって一人暮らしのその人にご挨拶しました。
不思議なおばあさんでした。
昼に工事の部材を届けましたが、一つ聞きたいことがあったのに電話が繋がらなかったので、直帰すれば良かったので夕方寄ってみました。
その家は変わっています。
ブロックで建てられた昔鶏舎だっと言う少し大きめの小屋あります。外からはこの建物しか見えません。
家の中に入ると広い土間あって、中にまたプレハブの小屋が建っています。
保存食の瓶詰めがブロックの壁伝いに誂えた棚に並べられ、土間の真ん中にはブリキの薪ストーブが。上には鍋があります。
七輪と炭・消し炭・薪も置かれています。
お昼に行ったときは薪ストーブで鮭の中骨などのアラを圧力鍋で煮ていました。
プレハブの中には流しやガス台もある所謂ちゃんとした台所も有るようです。
夕方お邪魔したらガラスのタッパンに入った手作りの生キャラメルを用意していました。
私が行くことなど知らなかったはずですが、そのうち来るだろうと思っていたと。
「工事が気になりながら作ったからなんか前の時より煮すぎたかもしれない」
「あなたは若いから好きかなあと思って」と
東京の孫のために作った生キャラメルをお裾分けして頂きました。
甥の結婚式で札幌に行き、お土産に買った生キャラメルと遜色ない味でした。
感激して食べた私を見て、姉にあげてもなんか反応無くてと。
テレビで見て、レシピも適当に自分でやってみたとのことです。
材料を伺うと「バニラビーンズ」と聞いて驚きました。
この町では手に入りません。
バニラビーンズは近くても盛岡まで行かなくてはいけないからです。
彼女は東京に行ったときに買ってくるとのことでした。
タダの田舎のおばあさんでは無いことが分かります。
この人はどんな人なんだろう俄然興味が湧きました。
私は駆け引きするタイプではないのでそのまま聞きます。
何をされてきたのかと
2,3度命に関わる大病をして脳の腫瘍の手術をしたときに残り少ない人生の
2年間をここで過ごそうとやってきたそうです。ご主人にも納得してもらって。
斜め向かいには家督を継いだ弟さんの家があり
隣はすぐ上のお姉さん一家が十数年前に家を建てて住んでいます。
一番上のお姉さんも妹さんも歩いていける距離にいるとのことです。
2年間の約束でここに住んだのに、予想外に長生きしてしまってと笑って話してくれました。
5年経ったときに夫にそのままいるなら籍を抜いてくれと言われたて抜いちゃったと肩をすくめて笑いました。
ここに来て10年経つと話しをしていました。
何でも作ってみることが好きと話す彼女は少女のようです。
私も下手な横好きでいろんな事に挑戦してきました。
その多くはやってみただけでしたが、それでもやらないよりマシは今でも私の中にあります。
手作りの石けんでシャンプーしているとか。
私も廃油で石けんは作ったことは有ったのですが、話しを聞くと食用の椿油で作るとかその知識の豊かさとグローバルさには感嘆しました。
廃油で作る石けんは洗濯用に作っていて、姉たちから集めた廃油で作っていると。
食だけでなく衣や住に関しても。
彼女の口から何度か出てきた「やってみるのが好きなの」
スローライフと呼ばれている生活がここにあります。
30年前の農村の生活をまねているのではなく自分らしい暮らし方をしているのです。
母より少し若い人なのに精神的にはとても自由でしなやかです。
何度も死の覚悟をしたからこそ到達できたことなのかもしれません。
工事は終わってしまったので、おじゃまする用事は無くなってしまいましたが
素敵な先輩をまた1人見つけることが出来ました。
いただいてきた生キャラメルと手を掛けたお醤油で作ったカエシは大事に食べています。
2週連続の結婚披露宴 [素敵な人たち]
先週、甥の結婚式でしたが、今週は親友の娘の結婚式がありました。
お嬢さんとは直接会ったことが無かったので良いのかとは思いましたが、
おめでたいことですし喜んで招待を受けました。
朝、ばばちゃんに着物を着せて貰いったのですが、ばばちゃんも芸能活動(笑)が有ったのでだいぶ早い時間に着替えをして、
年寄りは何事も急いて準備をします。「遅くなるとダメだから」を呪文のように言われますので
披露宴の2時間前に到着してしまいました(爆)
時間があったのでホテルから駅までちょっと買い物に行きました。
ホテルに戻ったのは1時間弱前だったのですが
ちょうど、ホテルの広いロビーのようなところで式をしていたので見ていたらその結婚式だったようで、
早めに行ったお陰で終わりの方だけですが式まで見ることができました。
式が終わると、披露宴までの時間まで少々時間がありますが、親族が移動するとき親友のYと会うこと出来まいした。
何となく皆さんが流れていく方に押し出されて披露宴の会場に。
私はY(新婦母)の仕事関係と友人関係のテーブルにつきました。女性だけですので何となく気楽でした。
私も今まで何度か披露宴を見てきましたが、今回ほど美人の人口密度が高いのは初めてです。
新婦友人と思われる人達はみんなモデル並みの美貌。
とりわけ女性に美形が多い。親戚の方でも…。
それは同じテーブルに方も話していました。
ええですからワタクシ少々場違いな感じがしました。それすらも楽しめました。
そうそう最初に書くべきでしたが
新婦も新郎もかなりの美形です。
Y(新婦母)もかなり美人ですが、その娘さんもかなりです。
ミス○○だったとかで、観光その他に貢献されたそうですし
新郎さんもかなりのイケメンです。
ずっとサッカーをしていたらしいので、爽やかで明るくハンサムなのでかなりモテだでしょう。
男性ですが、かわいい感じのハンサムなのですが、例えるタレントさんが見つかりません。
強いて言えば、顔全体はエグザエルの後で入ったボーカルの人(TAKAHIROさん?)で、目のあたりはゆずの北川悠仁さんに似てる感じ。
新郎が28才で新婦が26才、お付き合いして6年と言いますから、あまたの障害を乗り越え、機が熟しての披露宴と言うことなのかな。
勢いだけで決めたものでは無いことが想像でつきます。
私の隣席は娘同志友達でママ友になった方でしたが
新婦を子供の頃から知っているらしく、「S(新婦)ちゃん怒ったこと見たいこと無い」との事。
とても優しくて落ち着いてしっかりしたお嬢さんだそうです。
Yの娘ならありえます。Yもそうでしたから。
Yは4姉妹で美人姉妹と評判でした。
ええ。披露宴の最中に新婦の母の姉妹4人に写真撮らせくださいってお願いされているのです。
会場の脇に4人並ぶと“細雪”のように美しい。つうことはYは佐久間良子だな。
新婦の母親とその姉妹の写真撮りたいと言われること自体まずありえないでしょ。
ええ私も慌てて行ってちゃっかり撮りましたが、彼女たちの美しさを切り取るには力不足です。
岩手の結婚式では新郎の友人は盛り上げるために恥をさらさなくてはいけません。
特に体育会系の人はそうです。
今回は裸(一応お揃いのパンツのコスチュームあり)で歌とパラパラでした。2チーム。
最初のチームは裸族6人で歌とダンスを、第2のチームは裸族10人くらいと後ろはちょっとラフな感じで計20人以上で歌とパラパラを披露。
第2チームのパラパラの2曲目に新郎が担ぎ出され、ナンと2曲目は新郎まで踊らされる。
エライのは、新郎もちゃんと踊るところです。
真ん中で彼だけ黒のタキシードで踊ったのですが、王子様のようでカッコイイのです。
斜め45°に広げた腕は指先までキレイで。周りの裸族の方々は彼の引き立て役です。
こう言う事がサラッとできる新郎も、また一緒にパラパラをしている友人たちも、友情の深さを物語っています。
裸族をしたご友人たち、多少覚悟しているとはいえ、晴の席で恥ずかしい姿をさらさなければならない。
多少お酒の力を借りたとしても勇気のいることです。
ニギヤカシばかりではなく、地元の伝統芸能も披露されました。
記念館みたいなところでしか見たこと無かった鬼剣舞を3曲も。
バラエティの豊かさに驚嘆です。
芸達者な人が多いのか、民謡からカラオケまで尽きません。
3時間、ゆったりめの披露宴でしたがあきることは有りませんでした。
先週の甥の結婚式はあっさりした良い披露パーティでしたが
今回の披露宴は周りのお客様も美形揃いでまるでショー(そうか食事付きだからディナーショー)でも見ているような楽しさでした。
それぞれ、個性があって素敵な宴でした。
お嬢さんとは直接会ったことが無かったので良いのかとは思いましたが、
おめでたいことですし喜んで招待を受けました。
朝、ばばちゃんに着物を着せて貰いったのですが、ばばちゃんも芸能活動(笑)が有ったのでだいぶ早い時間に着替えをして、
年寄りは何事も急いて準備をします。「遅くなるとダメだから」を呪文のように言われますので
披露宴の2時間前に到着してしまいました(爆)
時間があったのでホテルから駅までちょっと買い物に行きました。
ホテルに戻ったのは1時間弱前だったのですが
ちょうど、ホテルの広いロビーのようなところで式をしていたので見ていたらその結婚式だったようで、
早めに行ったお陰で終わりの方だけですが式まで見ることができました。
式が終わると、披露宴までの時間まで少々時間がありますが、親族が移動するとき親友のYと会うこと出来まいした。
何となく皆さんが流れていく方に押し出されて披露宴の会場に。
私はY(新婦母)の仕事関係と友人関係のテーブルにつきました。女性だけですので何となく気楽でした。
私も今まで何度か披露宴を見てきましたが、今回ほど美人の人口密度が高いのは初めてです。
新婦友人と思われる人達はみんなモデル並みの美貌。
とりわけ女性に美形が多い。親戚の方でも…。
それは同じテーブルに方も話していました。
ええですからワタクシ少々場違いな感じがしました。それすらも楽しめました。
そうそう最初に書くべきでしたが
新婦も新郎もかなりの美形です。
Y(新婦母)もかなり美人ですが、その娘さんもかなりです。
ミス○○だったとかで、観光その他に貢献されたそうですし
新郎さんもかなりのイケメンです。
ずっとサッカーをしていたらしいので、爽やかで明るくハンサムなのでかなりモテだでしょう。
男性ですが、かわいい感じのハンサムなのですが、例えるタレントさんが見つかりません。
強いて言えば、顔全体はエグザエルの後で入ったボーカルの人(TAKAHIROさん?)で、目のあたりはゆずの北川悠仁さんに似てる感じ。
新郎が28才で新婦が26才、お付き合いして6年と言いますから、あまたの障害を乗り越え、機が熟しての披露宴と言うことなのかな。
勢いだけで決めたものでは無いことが想像でつきます。
私の隣席は娘同志友達でママ友になった方でしたが
新婦を子供の頃から知っているらしく、「S(新婦)ちゃん怒ったこと見たいこと無い」との事。
とても優しくて落ち着いてしっかりしたお嬢さんだそうです。
Yの娘ならありえます。Yもそうでしたから。
Yは4姉妹で美人姉妹と評判でした。
ええ。披露宴の最中に新婦の母の姉妹4人に写真撮らせくださいってお願いされているのです。
会場の脇に4人並ぶと“細雪”のように美しい。つうことはYは佐久間良子だな。
新婦の母親とその姉妹の写真撮りたいと言われること自体まずありえないでしょ。
ええ私も慌てて行ってちゃっかり撮りましたが、彼女たちの美しさを切り取るには力不足です。
岩手の結婚式では新郎の友人は盛り上げるために恥をさらさなくてはいけません。
特に体育会系の人はそうです。
今回は裸(一応お揃いのパンツのコスチュームあり)で歌とパラパラでした。2チーム。
最初のチームは裸族6人で歌とダンスを、第2のチームは裸族10人くらいと後ろはちょっとラフな感じで計20人以上で歌とパラパラを披露。
第2チームのパラパラの2曲目に新郎が担ぎ出され、ナンと2曲目は新郎まで踊らされる。
エライのは、新郎もちゃんと踊るところです。
真ん中で彼だけ黒のタキシードで踊ったのですが、王子様のようでカッコイイのです。
斜め45°に広げた腕は指先までキレイで。周りの裸族の方々は彼の引き立て役です。
こう言う事がサラッとできる新郎も、また一緒にパラパラをしている友人たちも、友情の深さを物語っています。
裸族をしたご友人たち、多少覚悟しているとはいえ、晴の席で恥ずかしい姿をさらさなければならない。
多少お酒の力を借りたとしても勇気のいることです。
ニギヤカシばかりではなく、地元の伝統芸能も披露されました。
記念館みたいなところでしか見たこと無かった鬼剣舞を3曲も。
バラエティの豊かさに驚嘆です。
芸達者な人が多いのか、民謡からカラオケまで尽きません。
3時間、ゆったりめの披露宴でしたがあきることは有りませんでした。
先週の甥の結婚式はあっさりした良い披露パーティでしたが
今回の披露宴は周りのお客様も美形揃いでまるでショー(そうか食事付きだからディナーショー)でも見ているような楽しさでした。
それぞれ、個性があって素敵な宴でした。
タグ:披露宴
親友との再会 [素敵な人たち]
26日祖父の法事があり仕事を休んだ。
中学の時に一番仲が良かったYちゃんが娘の結婚式の招待状を持って会いに来てくれた。
私は法事の裏方で手伝っていたのだが、その時間は一段落したので抜け出すことが出来た。
叔父の家のすぐそばの神社の広場に車を止めていた。
少し雨が降ってきたのでその車に乗り込みおしゃべりをした。
ずっと会っていなかったのにあのままでしゃべることが出来る。
会わない時間を埋めることはしなくて良い。ただ、どんなことが有ったか聞いた。話した。
綺麗でスマートで素敵なままだ。
大人しくて控えめで清楚だったが、清楚は変わらないものの仕事柄だいぶ積極的になっている。
おばさんになったと彼女は笑う。
私も1.5倍になった自分の体型を笑い合う。
先日の同級会でYのボーイフレンド会った話を懐かしがった。
幸せだけど大変なだと、人の何倍も苦労していることも分かった。
私の知らないたくさんの苦労を体験して今も頑張っている。
昔、私は両親の離婚であの町に引っ越して行った。
そこでYに出会った。
全く性格も趣味も違うのになぜあれほど仲良くなったのか今ではもう思い出せない。
すごくスタイルが良くて美人なのにちっともそれを鼻にかけることはない。
いつも真面目で控えめで静かな人だった。
無鉄砲でがむしゃらなで元気だけが取り柄の私とは180度違う。
それなのに、私のそばでいつも笑っていてくれた。
一人なると自分のアホ加減に情けなるのだが、次は大人しいイメージで…と始めても3分も保たない。
挙げ句の果てに周りから今日具合悪いのか言われる始末。そんなお馬鹿な中学生だった。
いや、中学時代だけではなく小中高生社会に出てからもずっと。この年になるまでそうだった。
彼女の悲しい事情と私の中にあったどうしようもない現実。
どこかで共感していたのかもしれない。
たくさん話した。
穏やかで優しい彼女とがさつでおおざっぱで単純な私は多くの時間を共有した。
彼女には取り繕うことも飾ることもしない。
例え15年会っていなくても、昨日の会話の続きのように話すことが出来る。
友達って良いよねと話した私には
「私はnoelにいっぱい救われた」と話した。
いっぱい笑わせたことは確かだが、完璧なYに私は何もしていない。
例えばボタン付けもろくに出来ない私にいろいろ教えてくれたのはYの方だ。
彼女からいろいろして貰ったことばかりだった気がする。
1時間半ずっと車の中で笑っていた気がする。
大切で素敵な時間だった。ありがとう。
中学の時に一番仲が良かったYちゃんが娘の結婚式の招待状を持って会いに来てくれた。
私は法事の裏方で手伝っていたのだが、その時間は一段落したので抜け出すことが出来た。
叔父の家のすぐそばの神社の広場に車を止めていた。
少し雨が降ってきたのでその車に乗り込みおしゃべりをした。
ずっと会っていなかったのにあのままでしゃべることが出来る。
会わない時間を埋めることはしなくて良い。ただ、どんなことが有ったか聞いた。話した。
綺麗でスマートで素敵なままだ。
大人しくて控えめで清楚だったが、清楚は変わらないものの仕事柄だいぶ積極的になっている。
おばさんになったと彼女は笑う。
私も1.5倍になった自分の体型を笑い合う。
先日の同級会でYのボーイフレンド会った話を懐かしがった。
幸せだけど大変なだと、人の何倍も苦労していることも分かった。
私の知らないたくさんの苦労を体験して今も頑張っている。
昔、私は両親の離婚であの町に引っ越して行った。
そこでYに出会った。
全く性格も趣味も違うのになぜあれほど仲良くなったのか今ではもう思い出せない。
すごくスタイルが良くて美人なのにちっともそれを鼻にかけることはない。
いつも真面目で控えめで静かな人だった。
無鉄砲でがむしゃらなで元気だけが取り柄の私とは180度違う。
それなのに、私のそばでいつも笑っていてくれた。
一人なると自分のアホ加減に情けなるのだが、次は大人しいイメージで…と始めても3分も保たない。
挙げ句の果てに周りから今日具合悪いのか言われる始末。そんなお馬鹿な中学生だった。
いや、中学時代だけではなく小中高生社会に出てからもずっと。この年になるまでそうだった。
彼女の悲しい事情と私の中にあったどうしようもない現実。
どこかで共感していたのかもしれない。
たくさん話した。
穏やかで優しい彼女とがさつでおおざっぱで単純な私は多くの時間を共有した。
彼女には取り繕うことも飾ることもしない。
例え15年会っていなくても、昨日の会話の続きのように話すことが出来る。
友達って良いよねと話した私には
「私はnoelにいっぱい救われた」と話した。
いっぱい笑わせたことは確かだが、完璧なYに私は何もしていない。
例えばボタン付けもろくに出来ない私にいろいろ教えてくれたのはYの方だ。
彼女からいろいろして貰ったことばかりだった気がする。
1時間半ずっと車の中で笑っていた気がする。
大切で素敵な時間だった。ありがとう。
タグ:親友
最強のおばあさんのその後 [素敵な人たち]
最強のおばあさんのその後(波瀾万丈の巻)
実は最強のおばあさんとして昨年ここに書いた友人について続きがある。
昨年9、10月にとんでも無いことになっていた。
あまりに、おおごと過ぎてここにはかけなかった。
今、どうにか彼女なりに落ち着いた。
これをアップするかかなり悩んだ。
私は脇で見ていただけだけど、読んだ人が何かを感じてくれるならそれでいい。
この先は興味のある人だけ進んでください。
実は最強のおばあさんとして昨年ここに書いた友人について続きがある。
昨年9、10月にとんでも無いことになっていた。
あまりに、おおごと過ぎてここにはかけなかった。
今、どうにか彼女なりに落ち着いた。
これをアップするかかなり悩んだ。
私は脇で見ていただけだけど、読んだ人が何かを感じてくれるならそれでいい。
この先は興味のある人だけ進んでください。
人生の先輩 憧れの人 [素敵な人たち]
この人と会うといつも幸せになれるそんな人が私には何人かいる。
日曜日はラベンダー祭りと称する草取りと交流の日だった。
この畑はボランティアで維持管理している。実際容易ではない。
広さと数量を考えるとボランティアという実に曖昧で責任の所在はっきりしない管理方式は適当ではない。
紆余曲折経てここまできたが、1列をそれぞれの会員に委託して管理をはじめた。
その手のかけ具合で差が出た。草取りが出来ない列はほとんど枯れてしまったり痛んだり目も当てられない状態になった。
1列約50メートルを会員に有料で圃場の使用料取っている。草取りして管理をして貰うその代わり咲いた花は摘み取り自由。
摘み取ろうと思えは50メートルの列のラベンダーからはかなりの量の花が取れる。
昨年、管理が出来ずに株を枯らしてしまった列の会員から、株がなくなったのに同じ使用料を取るのかと言われた。
管理せずに枯らせたのは誰なのか?私の列は枯れてはいない!
そう言われたとき悲しくなった。使用料は土地の借地料と肥料等に使っている。
誰もここから利益を出すつもりはいないことは分かっているはずだ。
使用料は経費を賄えればいいと設定した金額だったはず。
私はその場では何も言えなかった。
善意だけでやることに限界はあるのだろうか。
それでも、そのままにしてはおけないので、最低の管理費が取れるギリギリの金額に再度設定し説明した。
そんな思いまでしてなぜ続けているのだろうか?
私が関わってもう12,3年になるがその頃から出会いが私のいくつもの喜びを届けてくれた。
畑で出会った人達から多くの笑顔を貰った。それが力となり続いている。
当日、朝7時前からパソコンの前に座り今年度の書類を作って
ハーブティを入れるためのポットやカップも用意して出かけた。
それぞれが自分の出来ることをしている。それだけのこと。
ボランティアなんて所詮、道楽の一つだと思っている。
手弁当(身銭を切って)で、手間を掛けて、自己満足する。それでいいのだ。
ここに花が咲き、それを誰かが喜んでくれたのなら喜びが×2か3になる。それで十分だ。
この会を始めたTさんのお付き合いで障害を持った方々との交流もある。
細々ではあるが今だに来てくださる方もいる。
そして藤元眞紀子さんとの出会いは神様からのご褒美のようだと思っている。
藤元さんは私よりずっと年上でとても素敵な方だ。多くの才能に溢れている。
盛岡にある障害を持った福祉施設である「いきいき牧場」の理事をしている。
と言ってもちゃんと自己紹介してくださったわけではなく
話しの合間に出てきたものを聞いているだけなので
実際どれだけの活動をしているか分からない。
ボランティアだけでもいくつもしているはずだ。
豊かなハーブや植物の知識を惜しげもなく教えてくださり、
楽しいお話をして、みんなを笑顔にして風のように帰ってしまわれるのだ。
いくらお話を聞いていてもあきることがない。
でも、手も動かすことも忘れない。だからすごい。
わすれな草の件で当時の建設省とやり合ったことなど、ユーモアを交えながら話されたり。
テレビやラジオで名前をお聞きする方々とも交流も
まるでご近所との付き合いのように実に楽しそうに自然体で話されている。
福祉の現場で、その不条理と戦い、時には怒り、乗り越えてきたのだと思う。
常に前向きで、多くのことをそのパワーで進めてこられたのだ。
いつも周りの人を笑顔にすることを忘れないで。
お話ししながら踊りながら歌いながら導いてくださっているのだと思う。
日曜日、話して印象に残ったのは
「私一番嫌いなのはね、始めに何歳?って聞かれて、次ぎにご主人は何している方?って、
その次ぎにどこの学校出て、何しているかって聞かれること」
すごく分かる、聞いた人達にしてみれば評価に関係あるに違いない。
私は最初項目の年齢すら知らない(笑)間違いなく私よりは年上だ。私はなんてアバウトだんだろう。
その言葉に人柄が出ていると思う。
個人の利益など考えていないその姿勢にはいつも頭が下がる。
たくさんのハーブを抱えて来てくださった。
ブルーマロウ(ハーブ)でレモンのマジックをしてくださったり。
ハーブティを用意してくださったり。
いつもいつもいただいている。ハーブだけではなくもっと大切なものをたくさん。
これこそがボランティアの精神のそのものではないだろうか。
藤元さんはこれだけ活発に動いているのは名誉のためでも誰かへの義理立てでもましてやお金のためでもない。
ただ、誰かの笑顔が見たくて、そして自分も楽しいから身を粉にしている。
頭のてっぺんからつま先までの全ての細胞をフル稼働して動いているのだ。
その姿は苦痛や無理な様子は微塵もない。とても自然で楽しそうに働いている。
だから、共感を呼び藤元さんの所に集まってくるのだろう。
ここ2年くらい体調とスケジュールの関係で畑にはなかなかこられなかった。
今春、傷んだ株を思い切って処分し生きている株は移植して規模を半分にした。
本年度もお手伝い頂けるか伺ったら「来たい」と仰ったので1列用意した。
昨年まで私が2列管理していたものを1つを藤元さんの列に。
もし来られなくても昨年同様2列の管理するつもりになればそれでいい。
藤元さんは率先して南側の草取りをして少し花を摘んで帰って行かれた。
その花も友達に贈るためだとか。
会うと元気をいただく。笑顔をくださる。
そこにいるだけで周りを幸せにする特別な人がいる。
何かのドラマの台詞だったけどまさに藤元さんはそんなスペシャルな人。
この本は4年前に藤元さんが上梓されたもの。いい本です。
日曜日はラベンダー祭りと称する草取りと交流の日だった。
この畑はボランティアで維持管理している。実際容易ではない。
広さと数量を考えるとボランティアという実に曖昧で責任の所在はっきりしない管理方式は適当ではない。
紆余曲折経てここまできたが、1列をそれぞれの会員に委託して管理をはじめた。
その手のかけ具合で差が出た。草取りが出来ない列はほとんど枯れてしまったり痛んだり目も当てられない状態になった。
1列約50メートルを会員に有料で圃場の使用料取っている。草取りして管理をして貰うその代わり咲いた花は摘み取り自由。
摘み取ろうと思えは50メートルの列のラベンダーからはかなりの量の花が取れる。
昨年、管理が出来ずに株を枯らしてしまった列の会員から、株がなくなったのに同じ使用料を取るのかと言われた。
管理せずに枯らせたのは誰なのか?私の列は枯れてはいない!
そう言われたとき悲しくなった。使用料は土地の借地料と肥料等に使っている。
誰もここから利益を出すつもりはいないことは分かっているはずだ。
使用料は経費を賄えればいいと設定した金額だったはず。
私はその場では何も言えなかった。
善意だけでやることに限界はあるのだろうか。
それでも、そのままにしてはおけないので、最低の管理費が取れるギリギリの金額に再度設定し説明した。
そんな思いまでしてなぜ続けているのだろうか?
私が関わってもう12,3年になるがその頃から出会いが私のいくつもの喜びを届けてくれた。
畑で出会った人達から多くの笑顔を貰った。それが力となり続いている。
当日、朝7時前からパソコンの前に座り今年度の書類を作って
ハーブティを入れるためのポットやカップも用意して出かけた。
それぞれが自分の出来ることをしている。それだけのこと。
ボランティアなんて所詮、道楽の一つだと思っている。
手弁当(身銭を切って)で、手間を掛けて、自己満足する。それでいいのだ。
ここに花が咲き、それを誰かが喜んでくれたのなら喜びが×2か3になる。それで十分だ。
この会を始めたTさんのお付き合いで障害を持った方々との交流もある。
細々ではあるが今だに来てくださる方もいる。
そして藤元眞紀子さんとの出会いは神様からのご褒美のようだと思っている。
藤元さんは私よりずっと年上でとても素敵な方だ。多くの才能に溢れている。
盛岡にある障害を持った福祉施設である「いきいき牧場」の理事をしている。
と言ってもちゃんと自己紹介してくださったわけではなく
話しの合間に出てきたものを聞いているだけなので
実際どれだけの活動をしているか分からない。
ボランティアだけでもいくつもしているはずだ。
豊かなハーブや植物の知識を惜しげもなく教えてくださり、
楽しいお話をして、みんなを笑顔にして風のように帰ってしまわれるのだ。
いくらお話を聞いていてもあきることがない。
でも、手も動かすことも忘れない。だからすごい。
わすれな草の件で当時の建設省とやり合ったことなど、ユーモアを交えながら話されたり。
テレビやラジオで名前をお聞きする方々とも交流も
まるでご近所との付き合いのように実に楽しそうに自然体で話されている。
福祉の現場で、その不条理と戦い、時には怒り、乗り越えてきたのだと思う。
常に前向きで、多くのことをそのパワーで進めてこられたのだ。
いつも周りの人を笑顔にすることを忘れないで。
お話ししながら踊りながら歌いながら導いてくださっているのだと思う。
日曜日、話して印象に残ったのは
「私一番嫌いなのはね、始めに何歳?って聞かれて、次ぎにご主人は何している方?って、
その次ぎにどこの学校出て、何しているかって聞かれること」
すごく分かる、聞いた人達にしてみれば評価に関係あるに違いない。
私は最初項目の年齢すら知らない(笑)間違いなく私よりは年上だ。私はなんてアバウトだんだろう。
その言葉に人柄が出ていると思う。
個人の利益など考えていないその姿勢にはいつも頭が下がる。
たくさんのハーブを抱えて来てくださった。
ブルーマロウ(ハーブ)でレモンのマジックをしてくださったり。
ハーブティを用意してくださったり。
いつもいつもいただいている。ハーブだけではなくもっと大切なものをたくさん。
これこそがボランティアの精神のそのものではないだろうか。
藤元さんはこれだけ活発に動いているのは名誉のためでも誰かへの義理立てでもましてやお金のためでもない。
ただ、誰かの笑顔が見たくて、そして自分も楽しいから身を粉にしている。
頭のてっぺんからつま先までの全ての細胞をフル稼働して動いているのだ。
その姿は苦痛や無理な様子は微塵もない。とても自然で楽しそうに働いている。
だから、共感を呼び藤元さんの所に集まってくるのだろう。
ここ2年くらい体調とスケジュールの関係で畑にはなかなかこられなかった。
今春、傷んだ株を思い切って処分し生きている株は移植して規模を半分にした。
本年度もお手伝い頂けるか伺ったら「来たい」と仰ったので1列用意した。
昨年まで私が2列管理していたものを1つを藤元さんの列に。
もし来られなくても昨年同様2列の管理するつもりになればそれでいい。
藤元さんは率先して南側の草取りをして少し花を摘んで帰って行かれた。
その花も友達に贈るためだとか。
会うと元気をいただく。笑顔をくださる。
そこにいるだけで周りを幸せにする特別な人がいる。
何かのドラマの台詞だったけどまさに藤元さんはそんなスペシャルな人。
この本は4年前に藤元さんが上梓されたもの。いい本です。
同級生 [素敵な人たち]
1月に埼玉からクラスメイトが親戚の仏事で久しぶりに戻ってきた。
集まれるだけでミニミニクラス会をした。
クラス委員長だったミッツも来てひととき楽しい時間を過ごした。
その時に、30年経つしみんなに会いたいねと言う話しをした。
全ての事に顔の広いミッツに声掛けをして貰う事した。
3月までは町内会の役員をしているので忙しいから動き出すのは4月になってからと雲を掴むようなプロジェクトが密かに始まった。
私たちの同級は7クラス。
4クラスは男子だけ
1クラスは男女混合
2クラスは女子だけだ。
学業にあまり力を入れない実業高校で県立高校で有りながら部活に力を入れているような学校だった。
男子の中には部活をするために学校に来ているような人も少なくなかった。
25年くらい前に1度だけ学年の同級会をしているが参加者はさほど多くなかったし、名簿も古くてもうどうなっているのか分からない人も多い。
ミッツから生徒会長をしたアサ君に電話して力を貸してくれそうな人を誘って貰った。
女子に関してはすぐ見つかったし、ウチのクラスは2年に一度クラス会をしているので明日名簿を出せと言われれば出せる状態ある。何の問題もない。
「何か変わったことがあったらミッツに連絡すること」が合い言葉になっているほどだ(笑)
取りあえず、プロジェクトの第1歩となる顔合わせを土曜日にした。
そのために私も同じクラブだった男子や中学から一緒だった数人に電話して協力を頼んだ。
ほとんど会っていなかったし面倒なお願いをしているに好感触だった。
ホリ君に協力できる人を探してくれと頼んだらタムラ君とハセガワ君を紹介してくれた。
どこが見覚えのある顔が15,6人集まった。
話しは盛り上がるのだが、進行の上手いタカハシ君のおかげでスムーズ。
脱線しそうになっても見事に運んでいく。
大まかに決めてしまえば後は楽しく会食である。
仕事でこらえなかったホリ君に頼んで来て貰ったタムラ君とハセガワ君は決してお行儀良い生徒では無かった。
みんな立派なおじさんおばさんになっていて優等生もツッパリ君も無いのである。
卒業アルバムの写真のコピーを持って来た人がいてハセガワ君は
「この写真、娘には見せられねぇ~」
オールバックに眉毛もなく睨みつけるように写っている。もう大笑い!
大人になったよな全く!
本来2時間で飲み放題で終了であったがミッツがオーナーと友達で倍の4時間までにして貰った。
10時半に終了。2次会と称したカラオケにも流れで10人も来た。
今は年ごとのヒット曲メドレーカラオケが有って、人が多いのでそれで進めていく。
大いに盛り上がったのだが
誰かが間違えて1968年のメドレーを入れてしまった。
さすがに9歳、これは無理だろうと話したがなんとそれが一番歌えるのだ。
なんだこれは…?!。また大笑いである。
12時を回ると撃沈するもの2名。それでも、しっかり2時間楽しんだ。
私は下戸なので女子で残ったびーとミッツを送り届けて、自宅に戻ったのは2時。
久しぶりの夜遊びだ。いや2時帰宅は初めてかもしれない。
笑いすぎて、歌いすぎて、楽しすぎて少々疲れた。
カラオケしているときにヨッちゃんと話しをした。
彼は同じクラブだった。頼み込んで協力して貰った1人だ。
優しくて真面目な人。
「オレさ、お前に会わなければ盛岡にいなかったかもしれない」と言った。
えっ!なになに、私は何もしていないぞ。
「高校卒業して2年間東京にいて帰ってきたその時、偶然、盛岡駅でお前と会ってお前が今度はここで頑張ればいいじゃんみたいなことを話した」とか。
私は全く覚えていない。だいたい、私は知っている人がいたら必ず声を掛けて、話せない距離なら手を振る。それが日常だから。
その後、私が結婚前によく行っていた喫茶店にヨッちゃんがアルバイトで入って来て再会した。
そこは高校からの仲良しの女の子達と会っていた場所だった。
喫茶店のオーナーがカメラマンでその助手も兼ねていたが、結局、写真を諦めて今の仕事に就いた。
その時も私が何か話したらしいが、またも私は全く覚えていない。
彼は私にとって最も信頼できる友人の1人だったし、お互い異性などとは考えてもいなかったに違いない。
彼が当時好きだった子も知っている。残念ながらその恋は実らなかった。
彼女の消息を聞いてきたので、かいつまんで話した。
彼の瞳は相変わらず薄い鳶色をしている。
彼にとって淡くて苦い思い出にだろう。
昨夜、びーから電話が入った。土曜日の話をして、その後ホリ君との話を伝えた。
カラオケの時にヨッちゃんから、私と出会って盛岡にいるみたいな話しを聞いてびっくりしたと話すとびーは
「ずっと前に街で偶然ヨッちゃんに会ってこれから久慈に出張に行くって話していた。ちょうど私実家に帰るところだったから実家まで乗せて貰った」と話す。
「その時にその話ヨッちゃんから聞いた。noelは運命の人だって。有る意味ね(笑)」
初めて聞いた。全く知らなかった。
ヨッちゃんからはいろんな事をして貰った。
同じ部活仲間でヨッちゃんの家に押しかけていってカレーをご馳走になったこともあった。
後になればつまらないが当時としては問題だった事を部室やカウンターの向こう静かに聞いてくれていたし
笑ったり落ちこんだり怒ったりする私(私たち)を見守ってくれていた。
ヨッちゃんの転機となるところにたまたま私が立っていたのだろう。つくづく人の縁って不思議だと思う。
話しがそれてしまった。
土曜日は、涙を流して笑った。楽しかった。
あの3年間同じ校舎で過ごし、あの空気を分かち合った仲間たち。
プロジェクトは始動した。成功のためにベストを尽くそう。
集まれるだけでミニミニクラス会をした。
クラス委員長だったミッツも来てひととき楽しい時間を過ごした。
その時に、30年経つしみんなに会いたいねと言う話しをした。
全ての事に顔の広いミッツに声掛けをして貰う事した。
3月までは町内会の役員をしているので忙しいから動き出すのは4月になってからと雲を掴むようなプロジェクトが密かに始まった。
私たちの同級は7クラス。
4クラスは男子だけ
1クラスは男女混合
2クラスは女子だけだ。
学業にあまり力を入れない実業高校で県立高校で有りながら部活に力を入れているような学校だった。
男子の中には部活をするために学校に来ているような人も少なくなかった。
25年くらい前に1度だけ学年の同級会をしているが参加者はさほど多くなかったし、名簿も古くてもうどうなっているのか分からない人も多い。
ミッツから生徒会長をしたアサ君に電話して力を貸してくれそうな人を誘って貰った。
女子に関してはすぐ見つかったし、ウチのクラスは2年に一度クラス会をしているので明日名簿を出せと言われれば出せる状態ある。何の問題もない。
「何か変わったことがあったらミッツに連絡すること」が合い言葉になっているほどだ(笑)
取りあえず、プロジェクトの第1歩となる顔合わせを土曜日にした。
そのために私も同じクラブだった男子や中学から一緒だった数人に電話して協力を頼んだ。
ほとんど会っていなかったし面倒なお願いをしているに好感触だった。
ホリ君に協力できる人を探してくれと頼んだらタムラ君とハセガワ君を紹介してくれた。
どこが見覚えのある顔が15,6人集まった。
話しは盛り上がるのだが、進行の上手いタカハシ君のおかげでスムーズ。
脱線しそうになっても見事に運んでいく。
大まかに決めてしまえば後は楽しく会食である。
仕事でこらえなかったホリ君に頼んで来て貰ったタムラ君とハセガワ君は決してお行儀良い生徒では無かった。
みんな立派なおじさんおばさんになっていて優等生もツッパリ君も無いのである。
卒業アルバムの写真のコピーを持って来た人がいてハセガワ君は
「この写真、娘には見せられねぇ~」
オールバックに眉毛もなく睨みつけるように写っている。もう大笑い!
大人になったよな全く!
本来2時間で飲み放題で終了であったがミッツがオーナーと友達で倍の4時間までにして貰った。
10時半に終了。2次会と称したカラオケにも流れで10人も来た。
今は年ごとのヒット曲メドレーカラオケが有って、人が多いのでそれで進めていく。
大いに盛り上がったのだが
誰かが間違えて1968年のメドレーを入れてしまった。
さすがに9歳、これは無理だろうと話したがなんとそれが一番歌えるのだ。
なんだこれは…?!。また大笑いである。
12時を回ると撃沈するもの2名。それでも、しっかり2時間楽しんだ。
私は下戸なので女子で残ったびーとミッツを送り届けて、自宅に戻ったのは2時。
久しぶりの夜遊びだ。いや2時帰宅は初めてかもしれない。
笑いすぎて、歌いすぎて、楽しすぎて少々疲れた。
カラオケしているときにヨッちゃんと話しをした。
彼は同じクラブだった。頼み込んで協力して貰った1人だ。
優しくて真面目な人。
「オレさ、お前に会わなければ盛岡にいなかったかもしれない」と言った。
えっ!なになに、私は何もしていないぞ。
「高校卒業して2年間東京にいて帰ってきたその時、偶然、盛岡駅でお前と会ってお前が今度はここで頑張ればいいじゃんみたいなことを話した」とか。
私は全く覚えていない。だいたい、私は知っている人がいたら必ず声を掛けて、話せない距離なら手を振る。それが日常だから。
その後、私が結婚前によく行っていた喫茶店にヨッちゃんがアルバイトで入って来て再会した。
そこは高校からの仲良しの女の子達と会っていた場所だった。
喫茶店のオーナーがカメラマンでその助手も兼ねていたが、結局、写真を諦めて今の仕事に就いた。
その時も私が何か話したらしいが、またも私は全く覚えていない。
彼は私にとって最も信頼できる友人の1人だったし、お互い異性などとは考えてもいなかったに違いない。
彼が当時好きだった子も知っている。残念ながらその恋は実らなかった。
彼女の消息を聞いてきたので、かいつまんで話した。
彼の瞳は相変わらず薄い鳶色をしている。
彼にとって淡くて苦い思い出にだろう。
昨夜、びーから電話が入った。土曜日の話をして、その後ホリ君との話を伝えた。
カラオケの時にヨッちゃんから、私と出会って盛岡にいるみたいな話しを聞いてびっくりしたと話すとびーは
「ずっと前に街で偶然ヨッちゃんに会ってこれから久慈に出張に行くって話していた。ちょうど私実家に帰るところだったから実家まで乗せて貰った」と話す。
「その時にその話ヨッちゃんから聞いた。noelは運命の人だって。有る意味ね(笑)」
初めて聞いた。全く知らなかった。
ヨッちゃんからはいろんな事をして貰った。
同じ部活仲間でヨッちゃんの家に押しかけていってカレーをご馳走になったこともあった。
後になればつまらないが当時としては問題だった事を部室やカウンターの向こう静かに聞いてくれていたし
笑ったり落ちこんだり怒ったりする私(私たち)を見守ってくれていた。
ヨッちゃんの転機となるところにたまたま私が立っていたのだろう。つくづく人の縁って不思議だと思う。
話しがそれてしまった。
土曜日は、涙を流して笑った。楽しかった。
あの3年間同じ校舎で過ごし、あの空気を分かち合った仲間たち。
プロジェクトは始動した。成功のためにベストを尽くそう。
タグ:同級生
残念! [素敵な人たち]
ユカちゃんとのランチが出来なくなってしまう。
彼女は4月から別な職場になってしまうからだ。
アルバイトに登録していて、昨年はたまたまこの近くだったけど
15日から移ってしまう。
月に何度かランチを食べて他愛ない話をして、楽しかった。
初対面の時感じたあの感覚は一緒にいてようやく理解できた。
高校卒業したばかりなのに、とても周りに気を遣っていた。
なれないからかなと思っていたがそれにしても若いのに遠慮がちと言うか消極的。
仕事を怠けたくてと言うのとも違った。
とにかく前に出て行くことをしなかった。
別な場所の偉い人に物を届けるとか。
不思議な子だなくらいに思っていたのだ。
2月に試写会のチケットが有ったけどその週出かける用事がもう一つあったので
若い人向けの映画だしどうかなと思って電話をしたら…
「私1人で映画見られません。有難いんですけど、友達と一緒なら良いんですけど」
と丁重に辞退されてしまった。(私が行きました)
その後にランチしたとき
「この間はごめんなさい」と誤ってきた。
気にすることはないのだ。私が行って、楽しく見てきた。
でも、何となく感じていることを口にした。
「ユカちゃん、案外ビビリでしょ。初めてのことが苦手っていうか。人見知りが激しい」
「そうなんです。どうして分かったんですか?」
大人になってだいぶ良くなったけど、人前に出るのが苦手と言うより出来ないと。
小学校の時、当てられても歌うことが出来なくて授業が終わるまでずっと立っていたと。
授業参観で当てられても、保護者の前で本を読むことが出来なくて何分も立ち続けていていたと。
母親にそのまま立っている方が目立つと言われたと。
家族はとやかく干渉するわけでも、押さえつけるわけでもないと話す。
子供の頃からの友達は分かっているからいいけど、なかなか周りの人に理解して貰えない。
それでも、13年もアルバイトとは言え仕事してきたら多少のことは出来るようになってきたんですよと笑う。
他の人なら、そこに敷居があることにすら気付かず簡単にこり越えてしまうその敷居の前で立ち止まり動けない。
ユカちゃんはその敷居の前で立ち止まり後ずさりして来たんだろう。
しないと損をするとか勿体ないと言われ続けて来たとも話す。
でも、本人は損したとはあまり感じていないでしょと私が言うと
「はい、損したとは思ってないです。って言うか。そうしかできなかったから」と答えた。
自分で決めたことだから良いんじゃないの。そこがユカちゃんらしさだものね。
うちの親は変わっていると言う。それが幸運だったと思うよ。
良かったね。ユカちゃんのご両親がユカちゃんのご両親で。(へんな言い方だけど)
生まれるべくしてあのご両親の元に来たんだね。
妹さんがたった1人で働きながら外国にステイ出来たのもご両親の寛大さのおかげだと思うし。
4人姉弟がそれぞれ個性的でいられることは素敵なことだと思う。
編み物に興味が有るというので、毛糸1玉と編み棒と本を1冊貸した。
基本的な編み方だけ教えたのが、2月。
そのまま持っていてちょうだい。何かに挑戦するときは協力するからと話した。
もう、お弁当忘れても、気軽にユカちゃんとランチ出来ないのはとっても残念だ。
新しい所は仕事の関係で時々行くところだから、時々は会えるだろう。
本人は心配しているけど大丈夫だよ。出来ることをすればいいだけだから。
新しいことが待っているけど、ユカちゃんのままで楽しんで!
春、別れと出会いの季節。
彼女は4月から別な職場になってしまうからだ。
アルバイトに登録していて、昨年はたまたまこの近くだったけど
15日から移ってしまう。
月に何度かランチを食べて他愛ない話をして、楽しかった。
初対面の時感じたあの感覚は一緒にいてようやく理解できた。
高校卒業したばかりなのに、とても周りに気を遣っていた。
なれないからかなと思っていたがそれにしても若いのに遠慮がちと言うか消極的。
仕事を怠けたくてと言うのとも違った。
とにかく前に出て行くことをしなかった。
別な場所の偉い人に物を届けるとか。
不思議な子だなくらいに思っていたのだ。
2月に試写会のチケットが有ったけどその週出かける用事がもう一つあったので
若い人向けの映画だしどうかなと思って電話をしたら…
「私1人で映画見られません。有難いんですけど、友達と一緒なら良いんですけど」
と丁重に辞退されてしまった。(私が行きました)
その後にランチしたとき
「この間はごめんなさい」と誤ってきた。
気にすることはないのだ。私が行って、楽しく見てきた。
でも、何となく感じていることを口にした。
「ユカちゃん、案外ビビリでしょ。初めてのことが苦手っていうか。人見知りが激しい」
「そうなんです。どうして分かったんですか?」
大人になってだいぶ良くなったけど、人前に出るのが苦手と言うより出来ないと。
小学校の時、当てられても歌うことが出来なくて授業が終わるまでずっと立っていたと。
授業参観で当てられても、保護者の前で本を読むことが出来なくて何分も立ち続けていていたと。
母親にそのまま立っている方が目立つと言われたと。
家族はとやかく干渉するわけでも、押さえつけるわけでもないと話す。
子供の頃からの友達は分かっているからいいけど、なかなか周りの人に理解して貰えない。
それでも、13年もアルバイトとは言え仕事してきたら多少のことは出来るようになってきたんですよと笑う。
他の人なら、そこに敷居があることにすら気付かず簡単にこり越えてしまうその敷居の前で立ち止まり動けない。
ユカちゃんはその敷居の前で立ち止まり後ずさりして来たんだろう。
しないと損をするとか勿体ないと言われ続けて来たとも話す。
でも、本人は損したとはあまり感じていないでしょと私が言うと
「はい、損したとは思ってないです。って言うか。そうしかできなかったから」と答えた。
自分で決めたことだから良いんじゃないの。そこがユカちゃんらしさだものね。
うちの親は変わっていると言う。それが幸運だったと思うよ。
良かったね。ユカちゃんのご両親がユカちゃんのご両親で。(へんな言い方だけど)
生まれるべくしてあのご両親の元に来たんだね。
妹さんがたった1人で働きながら外国にステイ出来たのもご両親の寛大さのおかげだと思うし。
4人姉弟がそれぞれ個性的でいられることは素敵なことだと思う。
編み物に興味が有るというので、毛糸1玉と編み棒と本を1冊貸した。
基本的な編み方だけ教えたのが、2月。
そのまま持っていてちょうだい。何かに挑戦するときは協力するからと話した。
もう、お弁当忘れても、気軽にユカちゃんとランチ出来ないのはとっても残念だ。
新しい所は仕事の関係で時々行くところだから、時々は会えるだろう。
本人は心配しているけど大丈夫だよ。出来ることをすればいいだけだから。
新しいことが待っているけど、ユカちゃんのままで楽しんで!
春、別れと出会いの季節。











